五輪報道の後で(雑感)
ようやく北京五輪が終わりましたね。
この間、新聞のどこを開いても、どこも五輪一色で、ほかに報道することないのかなぁ・・・と思いながら、でも、ちゃんと五輪報道は読んでしまっていました。
アフリカネタではないのですが、気になったというか、そういうものかぁと思ったのが、競泳で二連覇・二冠をとった北島康介選手の報道。
世界新記録を出して100m平泳ぎに優勝した時、直後のインタビューでは最初、まったく声を出せずに、タオルにかおをうずめている姿がテレビで映し出されていました。この人をしてもそうなのか・・・と見てるこちらも胸が熱くなるのを覚えたのですが、ご覧になられた方はいらっしゃいますか?
少したってから、落ち着いてきたのか、それでも、いつもの北島節ではなかったのですが、最後に、インタビュアーの方が、「前回のアテネでは、『チョー気持ちいい』とおっしゃっていましたが(←このへん、言葉はうろ覚えですが)、今のお気持ちは?」というフリがあって、それに答えるように、小声で「チョー気持ちいい」と答えてくれた場面がありました。
で、翌日の新聞。 見出しには「チョー気持ちいい」
そうかなぁ・・・。
これって、いわゆるやらせ?と、思いました。リクエストにお答えして、そう言ってくれたという印象があっただけに、これ(あのアテネの名せりふ)つかったの?とちょっと違和感を覚えました。
8月初旬に発行したDADA会報のメディア・ウォッチの頁にも書かせていただいたのですが、「記事」が、現場の人や事実を視野にいれて書かれているのに対し、「見出し」は、明らかに、読者(だけ)を視野にいれて作られるんですよね。そう考えると、この見出しを作った人は、読者が、あの「チョー気持ちいい」という言葉を期待していたと考えたのでしょう・・・。
もっとも、この「見出し」には、後日談のようなものがあって、その次の新聞からは、いくつものコラムで、「何もいえねぇ」という方のせりふが使われていました。落ち着いて考えると、今年の金メダルのせりふは、やっぱりこちらだと考えたのでしょう。
新聞の見出しも、記事やニュースを見た瞬間のひらめき、あるいはノリが大切なのかもしれませんね。ノリって、その時の瞬発力は見せられるけど、時間が経っても輝いている見出しを作り出すのは、難しいものなんだと、ちょっと感じた記事でした。(お)
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