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September 04, 2008

研究と報道の違い

 先ほど、『ちょこっとジンバブウェ』のブログに、新刊『燃えるジンバブウェ』のご紹介をしました。

 1990年(独立後10年目)から2007年までの、吉國恒雄さんの論文をまとめた本なのですが、これを読むと、今年、騒がれたジンバブウェが、どういう道のりでここに至ったのかが、少しわかるような気がします。

 メディア・ウォッチを始める前、始めた頃は、記事の書き手が、一つの国の歴史や背景をわかっているかわかっていないかで、記事を判断していた気がします。その『国』がジンバブウェだったり、エチオピアだったり、個人的に思いいれの強い国はなおさらでした。
 
 でも、メディア・ウォッチを始めてから少し経って、最近では、記事に求めるべきものって何だろうと考えるようになりました。一概にはいえませんが、もちろん、ある程度の歴史や背景を理解するのは必要ですが、わたし達が報道に望むことは、歴史解説とか将来予測とかじゃなくて、今、起こっている目の前の事象、事実を伝えることに他ならないんじゃないかと強く思うようになりました。

 もちろん、その『事実』は、すべてではない。でも、人や場所の数だけ『事実』はあって、その中の一切れを私たちに伝えている。報道は、時に『風評』を呼ぶかもしれないけれど、それは、責任を報道に求めるものなのかなと思うようになっています。

 では、どの『事実』を伝えるのか?そのセンスが書き手に求められるものなのだろうし、書き手の個性や能力が表れるものなんだろうなと思います。

 だから、どうなの?というようなコメントかもしれませんが、これからの自分自身の『記事を読む目』が変わっていくかなと思った一冊でした。皆さんもぜひご一読ください。Amazonでも、セブンあんどワイでも扱っているみたいです。(お)

 *ちょこっとジンバブウェの頁はこちら → http://homepage3.nifty.com/DADA/ZimNews.htm
 *DADAホームページ・トップ頁はこちら →http://homepage3.nifty.com/DADA/

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