January 24, 2011

おみくじ

おみくじ

1月はじめに、府中の大國魂神社に初もうでにいってきておみくじをひきました。

『言』 みことばというところがあるのですが、

天の道はあまりあるを損じて足らざるを補う。
人の道は即ち然らず。
足らざるを損じて以て余りあるに奉ず。(老子)

意味は、『余分なところから取って、足りないところを補うのが「天の道」(自然の法則)なのだが、人間世界ではそうなっておらず、足りないところからさらに取って、余分にあるところに持って行っている』という内容なのだそうです。

なんで、こんな世界の話がおみくじに出るの?私のおみくじに・・・。、私にどうしろというの??と、悩みました。
実は、10月にお礼詣りに来た際にひいたおみくじも、『だから私にどうしろっていうの・・・・?』と言いたくなるような御言葉だったので・・・。


『世界とか日本とかが必ず出てくるのね。』と周囲に言われつつ家路につきましたが、家についてから、ハタと。。。

DADAはアフリカ支援をしています、というのは、てっとり早くDADAを紹介する時の言葉です。
でも、『支援』してるのかなぁ・・・・? 
『対話と行動』がモットーのDADAですが、対話・・・この一年、対話も行動もおこせませんでした。

でも、日本にいれば、問い合わせは来るわけで、ジンバブウェの写真をたくさん使います。
双方のためになることを、と思って始めた活動ですが、とりわけこの一年、日本のためにしか動いていない・・・、ジンバブウェの情報を使って・・・・。   これも、ないところから余分にあるところに持って行っているってことなのでしょうか・・・。


おみくじといえども、あなどれません。さすが、天の声。
年の初めに、反省した一日でした。

10月にひいたおみくじの話はまた今度。

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January 27, 2010

今年の抱負(前編)

 原稿の〆切が迫ると、すぐにブログが停滞します・・・。わかりやすいというか。
 元スタッフさんが、ブログを見たと連絡をくれました。時々見てくださっている方がいるのですから、これからも、ちゃんと更新しなくては。がんばります


 さて、尾関は、3年前から、調布市の市民活動支援センターの運営委員をさせていただいています。去年の4月から来年3月までの2年は、副委員長の席にあるのですが、あまり副長としては活動は・・・してませんね。すみません。

 その支援センター、えんがわだよりという会報を毎月()発行しています。最近、オンラインのブログも立ち上がりました。

 えんがわだより1月発行号では、色々な人が、漢字一文字で今年の抱負を書くという特集頁があるのです。
ねたばれになってはいけないと思って、このニュースがブログにあがるまで待っていました。そろそろ発行なので、もうばらしてもいいかなと思って、投稿しています。

 私も、もちろん選びました。その過程で発見が。

 いくつか浮かんだ漢字があるのですが、どうもしっくりいかなかったのです。そこで、「筆ペン」をとりだして、そこいらにある裏紙を使って書いて並べてみました。習字は決して得意ではないのですが、しかし、やはり(筆ペンであっても)筆で書いた文字というのはなんか、いいですよね。

 筆(筆ペンですが・・・)で文字を書くと、背筋が伸びるし、自分の意志です!という気持ちになりますよね。
なるほど、昔の人が書初めを大事にする意味がわかったような気がしました。

 来年から(今年からじゃなくて)、我が家でも書初め、始めるぞ~。

 
 え?あ、漢字一文字ですか?
 それは発行されてからのお楽しみ。月末になったら、ご報告します。

 ではまた。(お)


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December 06, 2008

種支援基金へのご協力 お願い

皆様、
代表の尾関が、来週からジンバブウェ出張に参ります。
詳細を、ブログ【ちょこっとジンバブウェ】に書かせていただきましたので、併せてご覧下さい。

DADAでは、【種支援基金】を作っておりますが、今回もここから支援をおこないたいと思います。
具体的に、どのような支援が今必要か、DADAの持っていく額で十分まかなえるのか、不安はありますが、なにせ、電話もメールもつながらない状況ですので、とにかくいって様子をみてから検討したいと思います。

この【種支援基金】は、種の買い付けだけでなく、保存(種保存庫支援)や、普及(ワークショップ参加など)など、種に関わる活動全般に使わせていただいています。今後は、突然の事態に対応できるよう、プール金のような役目も荷わせたいと考えております。

ぜひ、この【種支援基金】に、ご協力をお願いいたします。
DADAの口座は以下の通りです。ぜひ、ご協力をお願いいたします。

東京三菱UJF銀行 調布支店 普通口座 1858435 口座名義 ダダ

郵便振替 口座番号 00160-3-499558 口座名義 アフリカの開発のための対話プロジェクト

お問合せは、事務局dada-afirca★nifty.comまで。(★を@に変換してお送り下さい)

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October 15, 2008

9月23日帰宅困難者訓練にでました

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 久々の更新です。

 半月以上前のことですが、9月23日の祝日に、帰宅困難者訓練という、都道府県合同の災害訓練がありました。関東で災害が起こったとき、帰宅困難になり、徒歩で帰るという設定で、集合場所の日比谷公園から、調布市の電気通信大学までの22キロの距離を歩いてきました。

 他にも、神奈川・千葉・埼玉コースとあるのですが、たまたま東京コースが調布だったので、歩いてみようと、体力には自身のある女性2人と一緒に挑んできました。

 具体的なコースは、皇居をぐるっと廻って四谷に出て、そこから甲州街道をひたすら歩くというものでした。環八を過ぎたあたりから、道路の周辺の風景が、似たような景色が続くので、そこからの距離は長く感じました。お昼は明治大学(和泉校舎)でごもくご飯orカレーピラフのお弁当が無償で提供されました。

 22キロの感想は・・・・、お天気がよかったこと、荷物がないこと、道路が普通の状態(ガラスの破片や建物の崩壊がない)であったこと、運動靴で準備万端だったし特別に疲れていたり体調が悪い状態ではなかったこと、途中で、エイドステーションがいくつか設置されており水や塩()やバナナなどの配給?があったこと等、決して本当に地震や災害が起こったときと比べることはできないのですが、22キロってこんなもんかぁ、という感覚だったのは、嬉しい誤算でした。最後のアンケートに「まだまだ歩けますか?(20キロくらい)」とあったのですが、いや、さすがにもう20キロは無理ですが、もうちょっとならまだ歩けたかもとちらと思いました。

 ただ、本当に震災があったとしたら・・・・・う~ん、現金を持っていなかったらコンビニ強盗をしてしまうかも・・・と思ったことです!コンビニは、おそらくガラスのドアが壊れていて、中では商品が散乱していて、こっちは着の身着のままで家路を急いでいて、おなかはへるだろうし、先行き不安だろうし・・・誰もいなかったら、そしてお金がなかったら、盗んじゃうかも・・・と恥ずかしながら思いました。だって当然SuicaもPasmoも使えないし、それどころか、テレカも使えないかもしれない。お財布に10円玉入ってないかもしれないし、携帯の充電は常に満タンになってるとは限らないし・・・

 とあれこれ考えると、不安ばかりが募りますね。オフィスがある人は、オフィスに運動靴やヘルメットを置いておくとかそれなりの準備ができますが、DADA、都心にオフィスないですから・・・。かといって、地震に備えて、ハイヒールをやめたり、コインをじゃらじゃらさせたり、つねに食べ物と水を携行するということをしていてもなぁ・・・。

 調布市市民活動支援センターのスタッフさんも、運営に参加していたのですが、距離の感覚を掴んでもらえればと言っていました。そうですね。一度歩いたことのあるのとないのでは、とっさの時の心の持ちようが違うと思います。最近急速に普及しているAEDの訓練も参加したことがありますが、こうした訓練、けっこうあなどれないですよね。

 まぁ、さっき、まだ歩けたと書いたものの、実際は、足の裏に豆ができてつぶれていたので、あれ以上は無理だったかも。ゴール会場で、脚のマッサージをしてくれるボランティアグループがいて、マッサージでかなり助かったものの、やはり帰りはひと駅(2キロない)を電車で帰りました。一緒に歩いた私より10歳年下の友人は、その日の夕方から筋肉痛が出たらしいのですが、私は、次の日の午後に「ん?」という程度で、翌日にもあまり「痛」は出ず、忘れた頃にやってきたらどうしようと、不安な夜をすごしました。

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  写真は、完歩(?)者にだされた修了証(トップ)と、スタート地点で配られたカンパンと氷砂糖の入った缶(左)です。カンパン、結構美味でした

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August 18, 2008

福岡正信さん死去

 今朝の新聞で、福岡正信さんがお亡くなりになったことが報道されていました。95歳でした。

 福岡さんは、特にその著書『自然農法 わら一本の革命』が世界中の国で翻訳されていた方です。アジアのノーベル賞と呼ばれたマグサイサイ賞やインド最高栄誉章を受賞されている方で、「日本では無名だが世界で一番知られている日本人」と評した知人もおります。

 「自然農法」と呼ばれた、稲や麦を肥料や農薬を使わず、「何もしない」農法を「確率」された方で、中でも、何種類もの種をまぜてつくった泥団子のようなもの(「粘土団子」というのだそうです)を遠くまで投げて、芽が出るのを待つ、というユニークな緑化の方法も考案された方です。

 私が最初にそのお名前に触れたのは、1980年代後半の頃で、当時仕事相手であった、ボートピープルとなってフィリピンに上陸したインドシナの人々を第三国(生まれ故郷が第一、たどり着いたところが第二、そこからさらに他の国に定住する時、第三国と言っていました)に受け入れてもらうための手続きを担当しているアメリカの女性でした。日本にたびたび来日する彼女らが、「わら一本の革命」、「フクオカマサノブ」と、著書を探していただのですが、全然見識のない私、手帳に書いたままでした。
 
 福岡さんがどなたなのか、知ったのは、ずっと後のアフリカ関連の仕事を始めてからで、日本に来日したジンバブウェのパーマカルチャーの第一人者でもあるジョン・ウィルソンさんは、コーディネートをしてくれた方が、福岡さんの知り合いと聞いて、日程を変更して、会いに行きたいと言ったくらいです。(結局変更は無理でしたが)

 私自身が、福岡さんにお目にかかった・・・というより、お話をうかがったのは、それよりも後で、宮城まり子さんが渋谷で開いた講演会でした。タンザニアの緑化のために出発される前のことでした。多分、団子を宮城まり子さんの合歓の木学園の子供たちが手伝ったのではなかったかと思います。記憶が定かではないですが。

 その講演で、福岡さんは、小学生が「おじいちゃん、がんばって」というはげましのお手紙をくれたことを紹介していました。いい話だなぁと思って聞いていたら、福岡さん、怒り出しました。「年寄りなんて引っ込んでろ、俺が行く!」と今の若者はどうしていえないのか、という嘆きでした。これが最後、とおっしゃっていましたが、その後も行かれたのかもしれません。

 知人が働く団体でも、同じように粘土団子を作ったり、福岡さんを招いてアフリカに言っていただいたりしたようです。あの粘土団子の種は、いまどうなっているんでしょう。ずっと上空の天国からなら全貌を把握できるかもしれませんね。ご冥福をお祈りします。 合掌 (お)
 

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March 01, 2008

レイナルド・アレナスの『夜になるまえに』

先日、レイナルド・アレナスというキューバ出身の作家の自伝『夜になる前に』を読みました。読んでいる最中に、カストロ議長が引退を発表した時で、なんとも複雑な思いで読み終えたものです。

映画にもなったので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。作品は、カストロ政権下の弾圧と投獄の日々を経て、アメリカに亡命した彼のほぼ一生にわたる話がとうとうと書かれているのですが、私が特に引かれたのは、最初のほうにでてくる次の一節です。

『ぼくたちが生まれたとき、臍の緒を切ってくれた田舎の産婆たちには、土で臍をこする習慣があった。化膿が原因でたくさんの子どもが死んだが、助かった子どもたちはたぶん土を受け入れられたのだし、将来のたいていの災いに耐える準備ができたのだ。田舎ではぼくたちは先祖代々土と結びついてきた。土を無視できなかった。土はぼくたちの誕生のとき、遊ぶとき、仕事のとき、もちろん死のときにも居合わせた。遺体は木の箱に入って直接土に身をまかせる。すぐに柩は腐り、遺体は土に溶けてその大切な一部となり土を肥やす、そんな特権を持っていた。遺体は木として、花として、あるいはたぶん祖母みたいな人が薬効を予言しながらいつかにおいをかぐことになる何かの植物として甦るのだ。』

(安藤哲行訳 国書刊行会発行 55頁より)


これを読んで思い出したのが、10年以上前のこと。
アフリカの仕事をするようになって、大学とかで話をする機会ができました。最初の頃は、何も知らず、質問などで全然知らないことを聞かれたりするとしどろもどろになったりして、冷や汗の連続でした。

ある大学で、水・きれいな水という話になって、水が『きれい』でない土地では、その水を飲んで育つ子だけが育つ、というような話をした後で、そういう土地に無理して外国人が井戸を掘るよりも、自然淘汰させたほうがいいのではないか、という質問を受けました。

難しいですよね。
その時、自分がどんな回答をしたのか、思い出せません。確か、子どもはたくさん死ぬけど、それはわかっていることだけれど、悲しくない母親はいないよ、というような答えで濁したような記憶があります。今だったら、どういうだろう、と時々自問自答しています。

皆さんならどう答えますか?(お)

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December 05, 2007

川の光

 静かなブームを呼んでいるという『川の光』(松浦寿輝著)という本を読みました。川の近くに住むクマネズミのタータ一家が道路拡張工事によって住処を奪われて、川上に移住する冒険のお話なのですが、

 途中、父親と弟とはぐれて一人になった主人公のタータが、助けてくれた老猫と別れて川に戻ると、すずめの赤ん坊が死にそうになっている場面に遭遇するという時のせりふです。↓↓


「あの妙ちきりんな猫のおばちゃんがいなかったら、あの静かな家で休ませてくれなかったら、餌を分けてくれなかったら、ぼくは死んでたかもしれない。命を救ってもらったことのお礼は、ブルー(筆者注:”あの妙ちきりんな猫のおばちゃん)に言うだけでは足りないんじゃないのか、とタータは思った。別の誰かの命を救うことで、借りを返す。そうやって貸しと借りが順ぐりに回って、この世は動いてゆく。そうなんじゃないかな。」*


 この一節を呼んで、昔、マリの女性に言われた言葉を思い出しました。
いきさつは省きますが、お金を借りていたのでそれを返そうとしたときのことです。『ホテルみたいに精算してさようなら、というのはだめ。夫が、家族がどこかで今度はお世話になるかわからないでしょ。日本とか海外に出てしまうと、わたし達家族は夫の世話はもうできないの。でも、あぁ、日本にはyokoがいるから、と思うと、安心して旅に送ることができるのよ。』

 もう一つ、思い出したのは、ソマリアの難民キャンプで働いていた友人から聞いたこと。

 ローカルスタッフから金を貸してくれと言われた彼は、最初は躊躇したのですが、『(難民キャンプでは殆ど手に入れることができない)タバコを吸う俺のために、彼らは出かけると必ず、タバコを買ってきてくれていた。金や物を貸したり借りたりというのは、ひとつのコミュニティにいるってことなのかもしれない。だとしたら、金を貸してくれというのは、もしかしたら、彼らのコミュニティの端っこに自分もいさせてもらえるってことなのかもしれない。彼から直接戻ってこなくても、他の誰かから(別の形でも)返ってくればいいのかもしれない』

 そういえば、このスタッフたちは、給料をもらうと、必ず友人の上司である日本人に『預かっててくれ』と頼んだそうです。自分で持っていると使ってしまうからとか・・・。

 『川の光』の中では、一期一会のように思えた一つ一つの出会いが、実は最後まで主人公達を見守ってくれることになるというお話です。この本のように、私もこれまで色々な人に出会ってきたけれど、やっぱりアフリカの人に言われたことって、ものすごく印象に残っているなぁ、としみじみ。

 なんだか、番外のお話ですみません。ちょっと思い出したので。
 アフリカとは全然関係ないですが、このねずみの大冒険のお話、とてもいいです。
 ぜひ読んでみてください。

(*『川の光』松浦寿輝著 中央公論社 p141より抜粋)

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